ずいぶん長くなってしまったこのシリーズの記事・・・。
やっと記事のタイトルに触れるところまできました。おそっ。

そもそもなぜ、「許す=悟る=癒す」という、なんだか大層なタイトルにしたかというと、
これをある程度理解することが、ここ一カ月ほどの私のミッションだったからです。
このキーワードが守護存在さんたちから宿題として出てきたとき、正直
「悟るなんて、仏陀クラスの人になれっていうこと?無理無理!悟ったらなんか死んじゃいそうだし!」と思いました。あたりまえですが誰も私に仏陀になれなんて言ってません。完全に自意識過剰です。

でも、「許す=悟る=癒す」っていう言葉が、なんだかものすごいものに思えてしまいまして。
そんなふうにギャーギャー騒いでたら、黒魔女の過去世やら、悟ることを目指していた仏僧だったときの過去世が出てきましてですね。
(ちなみに仏僧だったときは、悟れなくて、神も仏もないと勝手に思い込み、修験の道にまで入ったのですが、最終的に精神を病んでしまい、悟りの境地に達することもなく、山の中で足を滑らして滑落死してました・・・。)
それと同時に母に対する、子どものころからの積もり積もった感情が出たり。
でも、今思うと、これ全部「許す」っていうことがキーワードだったんです。それを理解するために、いろいろ噴出していたわけですね。
とにかく自分を許すこと。自分を許すことができれば、それが悟ることにつながり、悟ればひとりでに勝手に癒されるというわけです。
それと同時にわかったことは、「人はもともとそれぞれものすごいパワーを持って生まれている」ということです。
私は母にできない子だと言われ続けたから、自分に自信が持てないのだと思ってましたが、それはそもそも間違っているわけです。

だって、人にできないと言われたからって、本当はできなくなんかないんですよ。できるんです。だってもともと、人はそれぞれに持って生まれた使命があって、それをやるための能力はもともとあるのですから。

ただ、
自分でできないと錯覚してしまうと、ホントにできなくなってしまうんですよ。
だから、母に言われて私は自分ができない子だと、錯覚していただけのことなんです。ま、言葉を変えて言うと、酔っ払っていてシラフじゃない状態といいますか。

だから、母にせいでできないと思わされているから自分に自信がないというのは違うのです。自分が錯覚しているから、できないと思っているだけのことです。ホントはできるのに。
母だって錯覚してるんですよ。自分はできない人間だと。人間はできないことがたくさんあるのが基本だと思い込んでいるのです。だから私に、お前もできない人間なんだという、間違ったメッセージを送ってしまうんです。母だってずっと錯覚してるだけのことなのです。
母と私のあれこれは、酔っ払い同士がうだうだわけのわからないことをしたり、言い合ったりしてるようなもの。

それがわかれば、なんてことありません。元の自分(シラフ)に戻るだけです。
私はもともとできる。やれる能力は備わっている。でも、できないと思い込んでいた自分を許す。錯覚していた自分を許す。それだけで「許す=悟る=癒す」の一丁上がりです。何も仏陀クラスの悟りじゃなくたって、私にとってはこんなポップな感じの悟りでよかったわけです。
「人は誰もがみな、その人のベストを尽くして生きている。だけどみんな自分はできない人間だと思っていて、できない自分が許せなくて苦しんでいる。」「けど、ホントは誰もがみんな自分の使命を果たすだけの能力を持っていて、錯覚さえしなければすぐに本来のパワフルな自分になれる。錯覚していても目を覚まして、今までの錯覚していた自分を許すだけでいい。」これこそが、「許す=悟る=癒す」。この一カ月で得た収穫です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆
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